久しぶりに、ゆっくりと書店で本を選ぼうと思って、出向いた。
書店が好きだ。
私は、書店で2~3時間くらい平気で居られる。
立ち読みをするわけではない。
本棚を片っ端から順に眺めていく。
気になる本を見つけたら、手に取ってみる。
そうして、ずーっと本との出会いを探す。
帰るころには、手に10冊以上の本を持っている。
そんなふうに、ゆっくりと時間をかけて本と出会う時間が、好きなのだ。
図書館で本を借りるのは、もっぱら学術書だ。
自分の娯楽や、教養を求めるための本は、基本的に購入する。
本は、財産だと思っているからだ。
読んだ本は、手元に残しておきたい。
久しぶりに、書店に出向くと、衝撃的なことが起こっていた!
なんと、新書のコーナーが きれいさっぱり消えてしまっていた!
いや、正確には、移動していただけだったのだけれど、
その在庫は、今までの1/10ぐらいにまで縮小され、
岩波新書は、姿を消した。
岩波は、返品できないので仕入れた本はすべて書店の「在庫」となってしまうため、書店は岩波を置きたがらない。それでも、志のある本屋さんは、岩波を置いてくれていた。
商業主義。売れるものに棚をさくのは当たり前。
でも、こうして県内の大型書店から、新書のコーナーがどんどん消えていくと、徳島県民はどこで「知性」と出会うのか?? たしかに、Amazonで購入することはできるけれども、本棚を眺めていく楽しさと、「出会い」は生まれない。
目次を見て、新書の購入を決める私にとって、手に取ることができない、というのは、「盲目的に選ぶ」と同義になってしまう。
高校生の頃、通学路に「町の本屋さん」があった。大型書店ではなく、老夫婦が2人で交代に店番をやっているような、小さな本屋さん。 学校帰りに立ち寄っては、その老夫婦と本について語り、時には「読んでみたら」と紹介されて本を購入することもあった。
「本との出会い」をくれる本屋さん。
そんな「本屋さん」がだんだんと姿を消し、レジ打ちと在庫整理の「店員」しか居なくなった「大型書店」がどんどん増えている。しかも、「大型書店」に並ぶ本は、雑誌とマンガと大衆小説と・・・
ああ、博識な「本屋のおじちゃん」が店番をする「本屋」さんは、どこに消えちゃったんだろう。そういう「本屋さん」は、もう現れないのかなぁ~。
さびしい・・・
とりあえず、新書の在庫が豊富な「書店」をさがさなきゃ!!