Office MAIKO国語専門塾のつれづれ日記

Office MAIKOが思いついた時に書き記します。きっと、なかなか更新されません(苦笑)

メディアゴンでボツになった記事☆その1「錦織選手の敗戦に思う」

錦織圭選手が日本人初の決勝に進出したことで、日本中を湧かせた全米オープンが、終わった。

 幻に終わった初優勝。敗因や試合分析は、すでに多くの方々がなさっているので、今さら語るまい。私は、別の角度から、決勝戦を語ろうと思う。

 

決勝戦は、トーナメントの中で、もっとも残酷な試合だ。

これほど勝者と敗者がくっきりハッキリする試合は、他にない。トーナメントの「途中」であれば、たとえ勝っても「次」があるので、選手はいつまでも余韻にひたってはいられない。試合会場も「次の試合」が控えているので、試合後は速やかに会場を出なければならない。勝者も敗者も、そそくさと会場を後にする。

決勝戦だけだ。選手にも、会場にも、「次の試合」が控えていないのは・・・。

だから勝者は、大勢のギャラリーとともに、おもいっきり喜ぶことができる。その会場にいるすべての人から、惜しみない称賛の拍手を一手に受ける。敗者はそのカゲだ。「日なた」の受ける光が強ければ強いほど、「日かげ」の陰は一段と濃くなる。

目の前に悦びを爆発させる対戦相手がいて、コートでは表彰式の準備が淡々と進められる。その中で、敗戦を噛みしめながら、ただただ、過ぎる時間を待たなければならない。表彰式があるから、コートから立ち去ることもできず、喜ぶ勝者を見せつけられる。

「あそこに立っていたのは、自分だったかもしれないのに」と思いながら。

 表彰式でも、あと一歩で届かなかったトロフィーを掲げる勝者を、隣で眺めていなくてはならない。もっとも近い場所に、もっとも遠い二人が、居並ぶ瞬間。

 決勝戦と表彰式が敗者に刻みつける「悔しさ」という刻印ほど、強いものはない。

 

 今回の対戦相手が、もしもフェデラーであったなら。

 フェデラーは、錦織圭がもっとも尊敬する、憧れる選手の一人である。

 そのフェデラーが対戦相手であったなら・・・。もしかすると、錦織は、準決勝のジョコビッチ戦のように、100%挑戦者の気持ちで、思いっきり立ち向かえたかもしれない。また、その結果、もし負けていたとしても、「精一杯戦った後の力負け」であれば、すがすがしい顔で、表彰式を迎えられたかもしれない。

 今回ほど、錦織を「悔しい」気持ちにさせた試合もなかったのではないか、と思えるくらい、表彰式の錦織は、硬い表情であった。シャッターシャワーを浴びる錦織を見ていると、切なくて、涙が止まらなかった。

 でも、今回の敗戦は、錦織を何倍も大きく成長させてくれることだろう。

 錦織は、思ったはずだ。自分の精神力の弱さと脆さを。トップに立つには、足りなかったあと一歩。きっと、錦織は、この悔しさを一生忘れない。対戦相手がフェデラーであった試合よりも、優勝した試合よりも、この敗戦の方が、後々の錦織には大きな財産となるだろう。いや、そうであってほしい。

 

 錦織圭が見せてくれる夢は、まだ、始まったばかりなのだ。