Office MAIKO国語専門塾のつれづれ日記

Office MAIKOが思いついた時に書き記します。きっと、なかなか更新されません(苦笑)

センター試験速報

今年のセンター国語は、易しかったんやなぁー。
なんか・・・
昨年以上に生徒のセンター国語の点が良い(^_^;)
うーん。問題は英語と理系科目。理系はまだ正解が発表されてないから、自己採点もまだやけど・・・。えいご~(つд`)
徳島の英語科は・・・以下略*。ヾ(。>﹏<。)ノ゙*。えーん

ベッキーさんへの世間のバッシングを考える

 新年号の週刊文春の、ベッキーさんと、ゲスの極み乙女川谷絵音さんとの不倫報道は、年明けのワイドショーを賑わせております。

 ベッキーさんは、今まで際立ったスキャンダルもなく、タレントとしての高感度の高さから、多くのCM契約を抱えていらっしゃいました。

 「ゲスの極み乙女」というバンドは、若者人気は絶大で、認知度も高いのでしょうが、広範囲な年齢層への認知度と、これまでの芸能界への貢献度で見ると、ベッキーさんと川谷さんでは比べるべくもありません。

 そのためでしょう。

 大手ポータルサイトのニュースは、ベッキーさんに焦点をあてた記事がこの報道の9割を占めており、川谷さんよりベッキーさんへのバッシングの方が強烈な印象です。

 

 このような状況を、私なりに分析してみたいと思います。

 

 まず、報道の不思議について。
 一つには、世間的な認知度の差が大きいでしょう。川谷さんをバッシングするより、ベッキーさんをターゲットにしたほうが、PVを稼ぐに決まってます。記事の表題がベッキー一色に染まるのは、商業的には当然のことです。

 また、抱えているCMの本数やレギュラー出演している番組の数などから、社会へ及ぼす影響も多大なものであることも要因であると思われます。

 でも、最大のバッシング理由は、やはり、彼女の謝罪会見の不可思議さにあったのだと思います。たくさんの証拠写真がすでに週刊誌に出てしまって、なお、「友人のひとり」と繰り返す不可思議さ。一方的なコメントのみで記者の質問にいっさい答えなかった不誠実さ。これは、見ている人の反感を買ってしまったであろうと思います。

 謝罪会見に関する報道では、「まるでスポンサーに向けて謝っているかのようであった」ということもバッシングの理由となっていますが、私は、この謝罪の「方向」は正しかったのではないかと思います。私たち視聴者は、不倫報道に不愉快な思いを抱いたかもしれないけれど、実害を被ったわけではありません。でも、CMのスポンサーや番組制作者には、甚大な経済的不利益を与えてしまったわけですから、そちらに向いて、まず謝罪するのは当然のことと思います。
 ベッキーさんご自身は、それに加えて、川谷さんの奥様やファンの皆さんにも謝罪したかったでしょうね。でも、「ただの友人。やましいことは何もない」とのたまってしまった以上は、「謝る理由もない」わけで、謝罪したくてもできなかった、というのが本音だと思われます。事務所の失態でしょうね。

 
 世間の風向きがこれほどまでにベッキーさんに冷たくなってしまうには、報道のバッシング以外にも理由はありそうです。

 不倫は1人ではできません。お相手がいてはじめて成立するもの。
 しかも、お付き合いがはじまった当初は、川谷さんが既婚であることを、ベッキーさんに隠していたという報道もあります。不倫であることを知らずに始まった恋だったのです。
 それならば、「悪いのは川谷さんのほうじゃないか!ベッキー、騙されたんだね、かわいそうに」という風潮になってもよさそうなもの。事実、芸能界で長く活躍してきたベッキーさんは、そのお人柄の良さから、多くの芸能人に好感を持たれているらしく、多くの方が、ベッキー擁護のコメントを出していらっしゃいます。
 なのに、なぜ、ベッキーさんだけが、このようにバッシングを受けるのでしょうか。

 その答えは、やはり、先の謝罪会見にありそうです。

 あれほど確かな証拠が出てしまった以上、潔く不倫を認めて、きちんと奥様にも謝罪をすればよかったと思うのです。
 日本は、不倫に寛容な国ではありません。仕事とプライベートは別よ、と言ってくれる欧米とはまったく風土が違います。公人ならば、更迭の可能性も高くなります。不倫は、罪悪なのです。なぜでしょう?
 不倫にもっとも不寛容なのは、女性層です。「夫を寝取られた側」に悲劇性を見てしまうのです。
 今回の不倫報道は、まず、川谷さんが売れない時分から尽くしてきた糟糠の妻が、美人芸能人のベッキーに、結婚半年で夫を寝取られてしまったということ。しかも、証拠となる日時が、妻にとっても「結婚してはじめてのクリスマス」「はじめてのお正月」であったということ。
 奥様の側に立って、「はじめてのクリスマスに夫はいない。紅白という晴れ舞台を経験した夫は、そのまま実家に1人で帰ってしまった」とそれだけでも寂しいのに、「じつはそれが、美人芸能人と、アツアツな夜を過ごしていた」と知ってしまったときの驚きと悲しみを想像してみてください。自分の夫ではなくとも、ベッキー憎しとなる世の女性達の心情は、容易に想像がつきます。

 これが、たとえば奥様も芸能人であった、となると、ここまでベッキーさんがバッシングを受けることもなかったと思いませんか? 
 逆に、ベッキーさんが奥様で、不倫相手が一般女性であったとしたら、やっぱりここまでのバッシングは起きなかった気がします。

 糟糠の妻を、「永遠の愛」を誓った、その舌の根も乾かぬうちにあっさり見捨てて、美人芸能人に走ってしまった川谷さん。本当は、彼こそがバッシングを受けるべきですが、そこは知名度と、もう一つ、周囲の芸能人の方々のベッキー擁護が火に油を注いでいるのです。

 ベッキーさんを擁護してあげたいと思う方々の気持ちは、よくわかります。私だって、もしもベッキーさんが自分の友達であれば、「でもね、あの子、ほんと、良い子なんだよ」って言いたくなってしまうかもしれない。
 でも、それは、やっぱり公の場で発言すべきではなかったと思います。
 それを聞いた、妻の心境を思いやれば、メディアを使ってベッキー擁護など、できないハズです。
 もしも、川谷さんの奥様もそれなりの芸能人だったとしたら?
 ここまで一方的なベッキー擁護はなかったはずです。
 もしも、寝取られた妻の方が芸能人で、不倫したのが一般女性であったら?
 きっと、芸能人の方々はこぞって一般女性をバッシングしたことでしょう。

 そうです。たんなる「友人擁護」です。でも、川谷さんの奥様は、メディアを通じて擁護してくれる人の1人もいません。本当の被害者を置き去りにして、不倫の当事者を擁護されても、いや、擁護されればされるほど、聞いている視聴者は、冷めた気持ちになっていくのです。

 今、ベッキーさんと仲良しなのであろう芸能人の皆さまが、「乗り遅れまい」とばかりに、こぞってベッキー擁護のコメントを出していらっしゃいます。出れば出るほど、ベッキーさんへの視聴者の目が冷たくなっていくとも知らずに。

 芸能界の「ウチ」と「ソト」の温度差を、まざまざと感じた年明けでございました。
 
 ともあれ、この件がどのように終息していくのか。
 経過をとおーくから、そぉーっと見守りたいと思います。

 



 

年賀状のないお正月は寂しい!!

2015年10月に最愛の祖母を亡くし、100ヵ日も明けない喪中だったので、今年のお年始は年賀状もお正月飾りもなーんにもないお正月だった。

12月の、「年賀状ください」っていう嵐の小歌を聴くたびに、ちょっと寂しくなった。

年明け、SNSで新年のご挨拶を見ると、私も乗っかりたくなった。

新年の宴で「あけましておめでとうございます」と皆が挨拶しあっているのに、ぎこちなく隣で頭を下げては違和感に戸惑った。

 

ふつうに乗っかって「おめでとう」って言っておけばいいじゃん!
と思われるかもしれないけれど、

そこは、ほら!
もともと古典の専門なので、「きちんと供養しないと亡き人が成仏できない」とか思っちゃうのですよ。だから、喪の明けないうちに「おめでとう」なんて言いたくはない。

 

そんなわけで、年賀状のやり取りなんてのは、やっぱり控えてしまうわけです。
11月に大々的に喪中ハガキを出しまくったので(笑)
今年は「紛れ込んじゃった」程度のお年賀しか届かなくて・・・

それはそれでやっぱり寂しかった。


やっぱり、日本のお正月は、
年越しに大掃除とお正月飾りを施して
紅白見て、蕎麦食べて
年が明けたら、お屠蘇とお雑煮。
初詣に行って、おみくじ引いて。
そのうち、ドサッと年賀状が届いて
「ああ、誰それちゃん、子ども産まれたんだ」
「わぁ、この人から来てる。やばい。出してない!」
なーんてひとしきり騒いで・・・

そうじゃないと、一年が始まった気がしない。

うーん。年賀状のないお正月は、寂しい!!


ハフィントンポスト「学校で教えてほしかった9つのこと。絶対に教えてくれないけど」記事に物申す!

今、Facebookを見ていると、こんな記事が出て来た。

www.huffingtonpost.jp

この記事にある「学校で教えてほしかった9つのこと」を引用すると、

1,税金の申告の方法
2,社内政治を乗り切るスキル
3,クレジットカード会社からの信用力を高める方法
4,自分に自信を持つ方法
5,車のメンテナンスの仕方
6,お金の管理
7,料理
8,破局への対応
9,洗濯の仕方

とある。そしてそれを「絶対に教えてくれないけど」と言い放っている。

ちょっと待てーっっっ!!
あのさ、料理や洗濯は、きちんと家庭科の授業で教えてますから!!
もちろん、洗濯機に入れてボタンを押すのよ、ってことではなくて、この記事にあるような「赤いシャツと白いシャツと一緒に洗濯機に入れてはいけない、といったことや、どれくらいの頻度で自分でシーツを洗うべきかといったことなど。」は、すべて、小学校の家庭科で教えてるハズ!

学校は、受験対策の予備校ではないので、受験に必要なノウハウだけを教えているわけでは、決してありません。人間関係のつくりかたやセルフコントロールのしかたなど、人間力の育成も学校教育の目標の一つだし、車のメンテナンス法を直接教えたりはしないけれど、必要になったときに自ら学ぶことのできるよう、その基礎力を鍛えているのです。

受験勉強に特化して授業をしてください、入試対策だけをきちんとしてください、などと見当違いな要望をする保護者も一部にはいるけれど、そういうカンチガイなご要望にも真摯に耳を傾け、ご納得いただけるよう対話しつつ、先生方は、生徒達に「社会を生きるために必要な力」のあれこれを、いっしょうけんめい指導しているわけです。

きっとこの筆者さんは、「受験に必要のない授業は内職!」とかって決めてかかって、家庭科や保健など、受験科目では無い授業をマジメに受けなかったのでしょう。

予備校にはない「家庭科」や「保健」などの授業が、なぜ、学校教育の中で必修とされているのか、小学校低学年の理科社会が「生活科」となったのはどうしてなのか、今一度、みなさんにもよく考えていただきたいと思います。

そうすれば、学校という場所が、どういうところなのか、ご理解いただけるのではないかと思います。そして、受験に使わない科目、将来なんの役にも立たないと思い込んでいる科目をきちんとまじめに学ぶことがどれだけ大切なことかも、おわかりいただけると思います。

学校教育のすべてのカリキュラムは、自分にとって必要な学びと心得て、学校生活を送ることができれば、少なくとも、こんな記事を書いて、私のような田舎のおばちゃんにブログで批判されるような憂き目に遭うこともなくなるのです(笑)


同窓会のその後で・・・

教え子の同窓会の後は、懐かしい仲間たちとの飲み会に合流させてもらいました♡

20代の頃に毎年、ボランティアスタッフとして参加していた徳島テレビ祭。ボランティアスタッフとはいえ、「ギャラが発生していなかった」というだけで、けっこう中心的に企画から運営まで携わって、毎年、半年近くかけて準備してきてのイベントでしたので、スタッフ同士の絆はとても深いものとなりました。

テレビ祭が終わってしまって、住む場所もバラバラになってしまったので、今はFBでのつながりしかなかったのですが、今回、その仲間達が集まるってことで、参加♡

みんな、ちょっとトシを重ねて体型はちょっとだけ貫禄を増してしまったけれど(苦笑)、集まればあの頃のままで、とっても楽しかったー(*≧∀≦*)

やっぱりね、本気で何かをやろうとしたら、スタッフ同士ぶつかって本気で言い合いをすることも出て来ます。それを乗り越えたところに、ホンモノの絆は生まれるのです。

あの頃のスタッフ仲間とは、めっちゃ言い合いもしたけど、いや、したからこそ、気の置けない仲間として今でも会えるのだと思います♡

自分にとっては、テレビ祭での出会いが、私の運命を大きく変えたし、これからも変えていってくれるのだろうと思うので、文字通り、思い出のテレビ祭なのでした!!

夜遅くまで(早朝まで??)つきあってくれた仲間に、乾杯!
( ^_^)/□☆□\(^_^ )
そして、これからもよろしく(^o^)ノ